一人親方として長年個人事業を営んできた方が、事業の拡大や信用力向上を目的として法人を設立するケース、いわゆる「法人成り」を検討されることは非常に多くあります。その際、「個人事業時代の実務経験や経営経験を法人の建設業許可申請で使えるのか」という疑問が必ず生じます。本稿では、法人成りにおける個人事業の経験の取扱いについて、実務的な観点から詳しく解説していきます。
結論から申し上げますと、個人事業での実務経験や経営経験は、法人設立後の建設業許可申請において使用することができます。ただし、個人事業で取得していた建設業許可そのものを法人に引き継ぐことはできません。あくまでも個人事業時代に培った経験を、新設法人の許可要件を満たすための証明材料として使用するということです。
これは建設業法の考え方として、許可は事業者(個人または法人)に対して与えられるものであり、個人事業主と法人は別の事業主体として扱われるためです。しかし、個人事業主本人が法人の役員や技術者として就任する場合、その個人が持つ経験や技術は当然に評価されます。
個人事業と法人の建設業許可の関係を理解するため、以下の表で比較します。
| 項目 | 個人事業の建設業許可 | 法人の建設業許可 | 両者の関係 |
|---|---|---|---|
|
許可の名義 |
個人事業主本人 | 法人(株式会社等) | 完全に別の許可 |
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許可番号 |
個人固有の番号 | 法人固有の番号 | 引継ぎ不可 |
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許可の効力 |
個人事業にのみ有効 | 法人事業にのみ有効 | 相互に無関係 |
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経験の取扱い |
- | 個人事業時代の経験を証明可 | 経験は引継ぎ可 |
|
許可取得後の廃業届 |
法人成り後は廃業届が必要 | 新規に取得 | 並存期間後に個人廃業 |
この表から分かるように、許可そのものは引き継げないが、「経験」は引き継げるというのが重要なポイントです。
法人で建設業許可を取得する際、経営業務の管理責任者(経管)を配置する必要があります。個人事業主として建設業を営んできた方は、その経営経験を法人の経管要件として使用できます。
以下の表は、個人事業経験を経管要件として使用する場合のパターンを示しています。
| 個人事業での経験 | 法人での地位 | 経管要件 | 必要な証明書類 |
|---|---|---|---|
|
個人事業主5年以上 |
法人の常勤役員 | 満たす | 確定申告書5年分、履歴事項全部証明書 |
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個人事業主3年+法人役員2年 |
法人の常勤役員 | 満たす | 確定申告書3年分、役員経験証明書類 |
|
個人事業主7年 |
法人の常勤役員 | 満たす(余裕あり) | 確定申告書5年分(直近分)、履歴事項全部証明書 |
|
個人事業主3年 |
法人の常勤役員 | 満たさない | 2年の経験不足 |
個人事業主として5年以上建設業を営んできた経験があれば、法人を設立して役員に就任することで、その法人の経管要件を満たすことができます。個人事業主として事業を統括してきた経験は、法人の役員として経営業務を管理する能力の証明となるためです。
個人事業での経営経験を証明するためには、5年分の確定申告書の控え、収支内訳書または青色申告決算書、開業届の控えなどが必要です。これらの書類で個人事業として建設業を5年以上継続してきたことを証明します。
法人で建設業許可を取得する際には、専任技術者(専技)も配置する必要があります。個人事業主として培ってきた実務経験は、法人の専任技術者要件としても使用できます。
以下の表は、個人事業での実務経験を専技要件として使用する場合のパターンを示しています。
| 個人事業での実務経験 | 独立前の経験 | 合計実務経験 | 専技要件 | 証明書類 |
|---|---|---|---|---|
|
個人事業10年 |
なし | 10年 | 満たす | 個人事業での工事実績証明書類 |
|
個人事業5年 |
職人5年 | 10年 | 満たす | 両方の期間の工事実績証明 |
|
個人事業7年 |
職人8年 | 15年 | 満たす(余裕あり) | 両方の期間の工事実績証明 |
|
個人事業5年 |
職人3年 | 8年 | 満たさない | 2年の経験不足 |
個人事業主として10年以上の実務経験がある場合、または独立前の職人としての経験と合わせて10年以上ある場合、法人の専任技術者要件を満たすことができます。
ただし、国家資格(施工管理技士など)を持っている場合は、実務経験年数に関わらず専任技術者になることができます。以下の表は、資格保有者の場合を示しています。
| 保有資格 | 必要な実務経験 | 個人事業での経験 | 専技要件 |
|---|---|---|---|
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1級建築施工管理技士 |
不要 | 何年でも可 | 満たす |
|
2級建築施工管理技士 |
不要 | 何年でも可 | 満たす(該当業種のみ) |
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1級電気工事施工管理技士 |
不要 | 何年でも可 | 満たす |
|
建築士 |
不要 | 何年でも可 | 満たす(該当業種のみ) |
法人成りを行う際の建設業許可取得には、いくつかのタイミングパターンがあります。以下の表で主なパターンを比較します。
| パターン | 手順 | メリット | デメリット |
|---|---|---|---|
| パターン①:個人許可なし→法人設立→法人許可取得 | 法人設立後に新規で許可申請 | シンプル、手続き1回 | 法人設立後は無許可期間が発生 |
| パターン②:個人許可あり→法人設立→法人許可取得→個人廃業 | 個人許可を維持したまま法人許可取得 | 無許可期間なし | 一時的に2つの許可を持つ |
| パターン③:個人許可あり→個人廃業→法人設立→法人許可取得 | 個人廃業後に法人で取得 | 個人許可の維持費不要 | 法人許可取得まで無許可 |
最も推奨されるのはパターン②です。個人事業の建設業許可を維持したまま法人を設立し、法人で建設業許可を取得した後、個人事業の許可を廃業するという流れです。これにより、建設業許可の空白期間が発生しないというメリットがあります。
法人成りで建設業許可を取得する際の具体的な流れを、時系列で整理します。
まず、株式会社または合同会社などの法人形態を決定し、定款を作成します。定款には事業目的に建設業に関する記載を必ず含めます(例:「建設工事業」「内装仕上工事業」など)。公証役場での定款認証(株式会社の場合)を経て、法務局で設立登記を行います。
法人設立後、履歴事項全部証明書(登記簿謄本)を取得します。個人事業主本人が法人の代表取締役または取締役に就任していることを確認します。法人の銀行口座を開設し、資本金の払込みを行います。社会保険(健康保険・厚生年金)の加入手続きを行います。
個人事業時代の経営経験を証明するため、5年分の確定申告書を準備します。個人事業時代の実務経験を証明するため、工事実績を示す契約書や請求書を準備します。財産的基礎を証明するため、資本金500万円以上を確認するか、残高証明書を取得します。
都道府県の建設業許可担当部署に申請書類一式を提出します。申請手数料(知事許可の場合9万円)を納付します。審査期間は通常30日程度ですが、都道府県によって異なります。許可が下りたら、許可通知書を受け取ります。
法人の建設業許可が下りたら、個人事業の建設業許可について廃業届を提出します。これにより、個人事業の許可は失効します。
個人事業時代の経験を法人の許可申請で使用する際の注意点を、以下の表にまとめます。
| 注意点 | 内容 | 対処方法 | 重要度 |
|---|---|---|---|
|
確定申告の継続性 |
5年分の確定申告が必要 | 過去分が不足なら税務署で証明取得 | 非常に高い |
|
建設業としての申告 |
事業内容が建設業と明記されている | 収支内訳書で建設工事の売上を証明 | 高い |
|
実務経験の業種一致 |
申請業種と実務経験の業種が一致 | 工事内容が分かる書類で証明 | 高い |
|
法人での役員就任 |
個人事業主本人が役員である | 履歴事項全部証明書で確認 | 非常に高い |
|
常勤性の証明 |
法人の営業所に常勤している | 社会保険加入で証明 | 高い |
特に重要なのは、個人事業主本人が新設法人の常勤役員に就任していることです。役員に就任していない場合や、非常勤の役員である場合は、個人事業での経営経験を経管要件として使用することはできません。
法人成りを行うことのメリットとデメリットを、建設業許可の観点から整理します。
| 項目 | メリット | デメリット |
|---|---|---|
|
対外的信用力 |
法人の方が信用度が高い、大手元請との取引拡大 | 特になし |
|
事業承継 |
株式譲渡で容易に承継可能 | 個人事業は相続扱いで複雑 |
|
資金調達 |
法人の方が融資を受けやすい | 個人保証を求められることも |
|
税制 |
所得が多い場合は法人税の方が有利 | 所得が少ない場合は個人の方が有利 |
|
社会保険 |
役員も健康保険・厚生年金に加入できる | 保険料負担が増加(会社負担分) |
|
設立費用 |
なし | 株式会社約25万円、合同会社約10万円 |
|
維持コスト |
なし | 法人住民税(均等割)年7万円程度 |
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許可取得 |
個人許可の実績をアピール可 | 新規申請の手間と費用(9万円) |
事業規模が大きく、将来的な事業承継も考えている場合は法人成りのメリットが大きいと言えます。一方、小規模で維持費を抑えたい場合は、個人事業のままでも問題ありません。
法人の建設業許可を取得した後、個人事業の許可をどう扱うかという問題があります。以下の表で選択肢を比較します。
| 選択肢 | 内容 | メリット | デメリット | 推奨ケース |
|---|---|---|---|---|
|
すぐに廃業 |
法人許可取得後すぐに個人廃業届提出 | 維持費不要、管理シンプル | 後戻りできない | 完全に法人化する場合 |
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しばらく維持 |
数ヶ月~1年程度両方を維持 | 移行期間の安心感 | 2つの許可の維持費・管理が必要 | 段階的移行を考える場合 |
|
並行運営 |
個人・法人両方で事業継続 | 状況に応じて使い分け可能 | 複雑、コスト増 | 特殊な事情がある場合 |
一般的には、法人の建設業許可が下りたらすぐに個人事業の廃業届を提出するのが標準的な対応です。個人事業の許可を維持していても、実質的に法人で事業を行うのであれば維持する意味はありません。
法人成りを考えている場合、個人事業での実務経験や経営経験は法人の建設業許可申請において使用することができます。個人事業主として5年以上の経営経験があれば経管要件を満たし、10年以上の実務経験(または資格)があれば専技要件を満たすことができます。
ただし、個人事業の建設業許可そのものを法人に引き継ぐことはできません。法人は個人とは別の事業主体として扱われるため、法人として新規に建設業許可を取得する必要があります。その際に、個人事業時代の経験を証明材料として使用するという考え方です。
法人成りの際は、個人事業の許可を維持したまま法人の許可を取得し、法人の許可が下りてから個人事業を廃業するという流れが、許可の空白期間を作らないという点で最も安全です。法人成りと建設業許可取得には複雑な手続きが伴いますので、不安がある場合は建設業許可に精通した行政書士に相談することをお勧めします。